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コンシューマーの冷凍食品は神戸から 冷凍食品の道を切り拓いた恩人、中村博一氏「お別れの会」 

「日本のスーパーに初めて開設された冷凍食品売場は、昭和38年(1963年)のダイエー三宮店」 わが国の冷凍食品の歴史を語る上で必ず言及される事柄である。灘神戸生協(コープこうべ)での冷凍食品宅配販路確立もしかり。神戸から全国に広がった。市販用冷凍食品は関西からといわれる所以だ。それを誰が実現したのかといえば、今年5月16日に逝去した中村博一氏(㈱ナックスの前身、㈱中村博一商店創業者)である。10月11日に帝国ホテルで「お別れの会」が開かれ、生前中村氏と交流のあった業界関係者を中心に約300人が集った。

昭和の業界黎明期から国内生産量150万tに達した平成時代の半ばまで、第一線を駆け抜けた中村氏を偲び、思い出を語り合い、業界の恩人として見送った。それぞれが氏を通じて冷凍食品に対する思いを胸に、穏やかな会だった。

中村博一氏は昭和6年生まれ。同25年兵庫県立兵庫高等学校卒業。船舶食料を扱う仕事に就き、冷凍野菜が船に運び込まれるのを見聞きしていたそうだ。「冷食やらんかーという人がいた」ので、28年2月に冷凍食品の販売を始めた。夜行で東京のニチレイ(当時日本冷蔵)に行き、仕入れをしてその日の夜行で帰る。同年にニチレイの特約店証明書を取得した。21歳の、大きな夢と情熱を抱えた若者に、木村鑛二郎氏(故人、元日本冷蔵社長、日本冷凍食品協会初代会長)はじめニチレイのトップは、やはり冷凍食品の「夢」見て、託したのである。

「木村鑛二郎さんの弟子やとおもてる。基本的な理念は『フレッシュフローズンフード』や。木村さんの理念をコンシューマーの事業として完成したのはわしや」と中村氏が語ったのは昭和62年(1987年)。

同年春から、冷凍食品新聞社は業界の歴史を綴るシリーズ記事をスタートした。そのきっかけを作ったのが中村氏だった。企画に携わった者がもはや新聞社に1人も在籍していないので、ここに記すことを許してほしいが、当時の永沼博文社長が神戸出張から編集部に戻り、号令をかけた。2つの座談会(中村氏は冷食中間流通の創始者として両座談会に出席)や個別インタビューを紙面で連載し、「冷食事始 証言・昭和の冷凍食品」と題して1冊の本にまとめたのは、今から30年前の平成元年(1989年)7月。冷凍食品新聞創刊20周年記念出版であった。

永沼氏も今年2月鬼籍に入った。勝手な思い入れだが、中村氏の訃報にふれた時、不思議な絆を感じた。馬が合うというのか、傍で見ていると「あんなぁ、、、」「なんや、、、」とごく少ない言葉のやりとりで分かり合っているような、おもしろい空気を感じた。今頃雲の上で麻雀でもしているのではないだろうか。

中村氏は昭和36年神戸に冷凍食品問屋、中村博一商店を設立。今から50年前の同44年に「冷凍食品新聞」が創刊され、日本冷凍食品協会が創立された。その年、中村氏は東京に拠点を開設、以降着実に全国へコールドチェーンを築いていった。そして、昭和の時代の業界発展を導き、平成の時代半ばまで第一線で活躍した。業界の恩人である。

大手メーカーのトップとして氏と共に『海また海、山また山』の時代を駆け抜けた五氏、手島忠氏、中野勘治氏、垣添直也氏、伊藤雅俊氏、藤原謙次氏が「中村博一お別れの会」発起人である。黎明期、東は「安中学校」(故安中琮一郎氏:元日本冷蔵研究部長、元ニチレイ系列・マルイチ食品社長)、西は「中村学校」といわれていた。中村氏が中心になって「ショーケースに入れるコンシューマーの商品を集まったメーカー担当と一緒に作った」時代であり、そこには企業の枠を越えて新しい食品である冷凍食品を根付かせたいとう共通の夢とロマンがあった。

献花した来場者に喪主中村典正氏(国分フードクリエイト㈱常務執行役員)と共に挨拶したナックス相馬義比古社長も、1980年代は中村博一商店の担当営業だった。「これからの時代の商品として発展する」と信じる中村氏の確信、情熱のDNAが同社に引き継がれている。

合掌。

 

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