2020東京五輪の開会は3年後。1964第1回東京五輪のメニューを振り返る
2020東京オリンピックの開会式はちょうど3年後の7月24日。わくわくしますね~
過日、帝国ホテルに残る故村上信夫シェフ(五輪当時は新館料理長)の所有していた「オリンピック・メニュー」冊子等を拝見する機会を得ました。そうです、会期の利用者8000人、延べ60万食と予想された選手村食堂の調理を冷凍食品活用によって、生鮮品の高騰を招くことなく乗り切ったという伝説のレシピです。
3カ所の選手村食堂、そして食材供給をまかなうサプライ・センター(セントラル・キッチン)で働くコックは、全国のホテルから245人、そして全日本司厨士協会から61人の計306人。味の均質化を目指して4人のシェフが門外不出のレシピを書き記したのです。ソース20種、スープ40数種、肉料理、魚料理等々いずれも120人分のレシピで掲載されています。
全国から集まった若手コックにとって、すばらしい勉強の場だったことは想像に難くないですね。そして、冷凍食材の取り扱いについても学んだわけです。選手村食堂にはニチレイ(当時日本冷蔵)の協力によって大型冷凍庫が備えつけられたそうで、オリンピック以降、ホテルの厨房に次々と冷凍庫が導入されていくことになりました。オリンピック後に第一次ホテルブームが起きたそうです。
牛肉の煮込みだけでも様々な国別のレシピが掲載されています。「おもてなし」の心を感じます。各国の選手が大喜びだったと伝えられる話にも納得できます。
食材の冷凍ノウハウは、帝国ホテルメンバー白鳥浩三シェフ(上高地帝国ホテル料理長)がパンアメリカン航空の機内食を調理していた東京ステーションホテルに2年半出向して学んだそうです。また、村上シェフは戦後のシベリア抑留経験があり、凍結したジャガイモをどううまく解凍調理するかというテクニックを実体験で学んだと振り返っています。
村上シェフは、日本、アジア、中東選手団向けの「富士食堂」の料理長を務めました。「日本選手が金メダルをとったら赤飯」と約束しましたが、早くも3日目で三宅義信選手が優勝した時には、もち米や小豆の食材がまだ到着していなかったそうです。