大木伸介氏(日本水産前社長)お別れの会、1300人が参列
弦楽とハープの演奏が続く中、1300人が献花。日本水産㈱前社長・相談役の故大木伸介氏(平成30年9月13日逝去、享年58歳)のお別れの会が、12月13日、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで開かれました。大木氏はニッスイ加工食品事業の先頭を切って突き進んだリーダーであり、平成29年6月の社長就任によって益々の活躍が期待されていましたが、その矢先の病気療養。そして30年3月に相談役に退きました。無念の思いが去来する会場でした。
年代の若い方のお別れの会は重い空気が漂います。しかし、会場に設営した回想の掲示に皆心を通わせました。学習院大学(昭和57年卒)バドミントン部、ご子息が入っていた少年野球団監督としてチームを優勝に導く、といったスポーツマンの横顔にもスポットをあてた掲示には、ニッスイ社員の方々の氏に対する敬愛がにじみ出ていました。
「笑った顔が意外にないんですよ」と連絡をいただき、弊社が昨年撮影した社長就任会見での写真を提供しました。
緊張して表情がおかしいので、「もう少しにっこりしてください」とお願いして微笑んでいただいたショットでした。飄々とした風貌とは裏腹、仕事に厳しく自身にも厳しい人と常々聞いていました。しかし我々報道関係者が、ああだこうだと何か言うと、真剣に耳を傾けてくれました。現場の風を感じられる方だったように思います。
冷凍食品のお弁当商品で今や主流を占めている自然解凍の和惣菜をニッスイがパイオニアとして発売した時には、冷凍食品担当課長でした。その後、不振の缶詰・瓶詰事業立て直しを「私に任せてください」と垣添直也社長(当時)に進言し、「3年だぞと言った。見事に成し遂げて43歳の若さで新設の常温食品事業部事業部長に」(垣添氏)。
平成21年3月営業企画室長、22年6月執行役員営業企画室長、25年4月同家庭用食品部長、26年6月取締役執行役員食品事業執行、27年6月同常務執行役員食品事業執行、29年6月代表取締役社長執行役員 最高経営責任者(CEO)、30年3月相談役
合掌
実は私、中学~二十歳ぐらいまで、大木さんと懇意にしていただきました。
私の方が二歳年下で、本当に弟のように可愛がっていただきました。
私が知り合った当時は、大木さんは私の姉の同級生だったので、なんと言うか気さくなあんちゃんで、良くくだらない悪ふざけで笑ってばかりでした。
同じバドミントンの社会人チームだったので、私にとって大木さんは憧れの選手でもありました。
お互い若かったので、ここには書けない墓場に持って行く、悪さもしました。
三十年ほど連絡が無く、まさか亡くなっていたとは…
しかし、さすが大木さんです。
社長になっていたとは驚きです。
大木さんが日本水産へ就職が決まり、皆で就職祝をやったときに
「大木さん。魚嫌いじゃないっすか!」
と、大笑いしたんですよね。
また会って、馬鹿騒ぎしたかった。
お悔やみ申し上げます。