【訃報】中野勘治氏(元三菱食品代表取締役会長) 生涯現役、冷凍食品業界の第二世代リーダー逝く
中野勘治氏(なかの・かんじ)元菱食社長・三菱食品会長 5月8日0時06分心不全のため入院先の病院で死去。84歳。葬儀は10日家族葬で執り行った。喪主は妻嘉子(よしこ)さん。三菱食品によると「お別れの会」を開催するが日程は未定。
中野勘氏氏略歴
1939年7月7日生まれ。愛知県出身
1962年3月 慶応義塾大学商学部卒
1962年4月 日本冷蔵(現ニチレイ)入社
1989年6月 ニチレイ 取締役
1993年6月 同 常務
1995年6月 同 専務
2001年6月 ユキワ社長
2003年10月 アールワイフードサービス 社長
2006年10月 菱食(現三菱食品)代表取締役副社長執行役員
2008年3月 同 代表取締役社長
2011年6月 三菱食品 代表取締役会長
2013年6月 同 相談役
2015年 退任
同年 オフィスK設立 代表
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「生涯現役を貫いた冷凍食品業界の第二世代リーダー」
大戦終戦後、1945年に復活した水産企業各社で冷凍食品の未来に「夢とロマン」を抱いて事業基盤を再構築し、需要創造に邁進した先達らが冷凍食品業界の初代リーダーだとしたら、中野勘治氏は彼らの薫陶を受け、台頭し始めたスーパーに、さらに外食産業界にと冷凍食品を普及させた第二世代のリーダーであった。しかも、大手メーカーから転じて大手中間流通のトップに就き、手腕を振るって成功した希有な存在のリーダーだった。
ニチレイ時代の1996年に「ミールソリューション」「ホーム・ミール・リプレイスメント」という用語を発信し、お弁当一色になりつつあった売場に夕食需要開拓を訴えたことが印象深い。時期尚早ではあったが「王道」を進むニチレイを確固たるものにした。毎年2月1日に開催した新方針・新商品発表会「フレッシュコンベンション」は、その場に招待されるか否かが重要な業界流通企業か否かといわれるほど。冷凍食品=フレッシュをはじめ、開発方針をリードする発想は「好きだから毎年行く」と言っていたニューヨークで刺激を受けたものが多かったと拝察する。
レンジでできるフライの開発も、情報を得るや自ら駆けつけてものにするというフットワークを我々報道陣に見せつけた。氏が新たな道を拓いた業界の事柄を挙げれば切りがないほどだ。
中間流通に転じても同様だった。前任廣田正氏が築いた流通トップ企業に課題を見いだして改革した。生活者起点のマーケティングは今も三菱食品が開催するフェアの目玉である。メーカー商品を全国各地に届ける中で食品流通の狭間に取り残されそうな小規模飲食店にも目を配り、システム構築に尽力した。
氏は企業退任翌日に自ら会社を設立して、引き続き多くの企業の顧問やアドバイザーとして活躍した。生涯現役を有言実行した。突然の訃報にも、GW中の会食で、天ぷらに寿司を食べてワインも飲んでいたらしいと尾ひれがついてきた。まことに氏らしいエピソートだ。展示会会場や業界会合で、あの少しかすれた大声と軽口、笑い声がもう聞けないのかと思うと寂しい限り。業界内の多くのファンも同じ思いであろう。
合掌