いつでも盛り上がる話題「あの頃の給食」~ヤグチ秋季見本市より
11月15日、「2023ヤグチ秋季見本市」会場にて。「これこれ、懐かしいね」「あったあった」「揚げパン好きだったなぁ」など楽しそうな声。そう、学校給食のメニューサンプル年代別展示前での会話です。
学校給食も「外食」マーケットの一角を担います。
昭和30年代は、脱脂粉乳にコッペパン。脱脂粉乳は飲めないほど嫌いじゃないけど好きじゃない子がほとんどでしたねぇ。あじフライはニチレイの冷凍食品かもしれません。昭和33年10月、都内の落合第二小学校に、開いたあじのフライとカレイのフライを納めたのが学校給食向けの冷凍食品納入第1号、という証言(冷凍食品新聞社刊「冷食事始」)が残ってます。当時ニチレイの販売子会社で営業を担当していた方の話です。
昭和40年代になると、脱脂粉乳から牛乳にチェンジ! メニューは「ミートスパゲッティ」となっていますが、パスタではなく、おなじみ学校給食のめん、「ソフトめん」ですね。実は、ソフトめんと呼ばれる前の正式名称は「ソフトスパゲッティ式麺」だったので、「ミートスパゲッティ」の表記はぎりぎりOKかも。昭和33年に開発されていた特許取得のもの(蒸して冷やし、さらにゆでるという製法)を学校給食用にと交渉して生まれたのでした。なぜスパゲッティ式かというと、汁麺メニュー用ではなく、具材入りソースををかけて食べて美味しい麺だからです。汁めんと牛乳だと低学年ではお腹がたぷたぷになって食べ切れない、という配慮から誕生した麺です。
昭和50年代は、ついに米飯給食が正式スタート(昭和51年)!「カレーライス」が登場します。またたく間にカレーライスは人気メニュー1位になりました。
平成になると、牛乳瓶から紙パックになっています。そして「ゼリーフライ」?これは埼玉県の郷土料理で、小判型の銭フライがいつしかゼリーフライになったとか。おからとじゃがいもをベースに野菜などを入れたフライですね。各地で地域の伝統、郷土料理をメニューに取り入れたり、全国各地の郷土料理を実際に食べて学んだり、『オリンピック給食』『ワールドカップ給食』と名付けて世界の料理も取り入れられるようになりました。
食べて学ぶ。日本の学校給食は、学校給食法(昭和29年)で、教育の一環として実施することが定められているのでした。